進化はギョーザと共に

こんにちは、酒屋三代目福ちゃんです。


転職を機に、4月からイキナリ名古屋での単身赴任がスタートしました。
これまでは、結婚しても実家暮らしだったので、家事などは簡単な手伝い
程度しかした事が無かったので不安もありました。洗濯機もまとも使った
事のないレベル。でもご飯は作れます。仕事でしたので。


季節の移り変わりと共に、名古屋の喫茶店での研修も順調に進んでいました。
徐々に気温も上がり、交通手段は自転車だけ、それに加え住んでいるアパートは
坂だらけの場所にあり通勤だけでも汗だくです。しかし名古屋は暑い。
陽射しが刺さるとはこう言う事かと、勝手に解釈していました。


研修先は某フランチャイズ茶の本店にあたり、私と同じように親会社からの指示で
研修を受ける人達が全国から入れ替わり立ち替わりでやって来ました。
今でこそ、研修センターなるものが出来たらしく、座学から始まり丁寧にお勉強出来る
らしいのですが、当時は即現場。その方が性に合うで逆に助かりました。
全く旗違いの会社から派遣された方も多く、飲食店の経験が無い方は相当苦労していた
様に見えました。中には数日で逃げ出す人も。劣悪な環境には耐性があったので私には
天国の様に感じましたが。ここにも色々な人が居ますね。


元から環境に適応するのが得意なのに加え、覆面調査の実績も考慮されてお店に溶け込む
までに時間は余りかかりませんでした。普段は厳しいと評判の独身の女性店長にも気に入られ
色々な事を教えて貰いました。かなり癖の強い人で好き嫌いが激しく、社員の事も年齢に関係なく
全員なになにさんと呼んでいた店長でしたが、私だけは何故か、福ちゃんと呼ばれていました。
若い本店の社員もそれには困惑していたようでした。


飲食経験者の私にとっては、技術的にも左程難しい作業はなかったので数をこなすに連れ、
どんどん上達して行きました。それこそ何ヶ月も前からいる本店の社員を抜くほどに。
当初、4ヶ月を予定していた研修も1ヶ月繰り上がり7月に家に戻れるようになりました。
後半は研修生の癖に、本店のアルバイトや他の研修生を指導するなど何でもありでした。
最終的には、教える事が無くなったと言われ、最後の仕事は外の花々の水やりでした。


初めは心配していた単身赴任も、終わってみればあっと言う間。子供達に会えないのは
寂しかったけど、1人暮らしも気ままで良いもんだ。なんだかんだで良い経験が出来た。
振り返ると、初めは頑張って色々と自炊もしたけど、最後の方は冷凍ギョーザと酒ばかり
だったな。水も蓋も要らない餃子最強。お魚も買った事はありましたが、日本海で育った
私には合いませんでした。


さて、帰ってから本番です。9月のオープンに向けての準備は想像が出来ないほど山積みです。
お世話になった皆んなに笑顔で手を振り、家族が待つ家に帰りました。

 


*新たにブログのホームページを開設致します。今までの内容に少し手直しを加えて作っております。
まだまだ勉強不足ですが、頑張って行きたいと思うので、こちらも見て頂けると嬉しいです。

また、感想や質問、気になる事があれば、コメントを頂けると嬉しいです。

今後もよろしくお願い致します。

         酒屋三代目 福ちゃん


ブログホームページ https://sandaime-fukuchan.com

 

輝く笑顔の先は

こんにちは


優しく そしてカッコイイ チーフに送り出せれ 


次なる仕事は フランチャイズの喫茶店の立上げメンバーです


オープン自体は半年後 まだお店も出来ていない状況でした


その間はどうするかと言うと 名古屋の本店での研修です

初めての1人暮らし 初めての単身赴任

新たな土地での 新たな生活の始まりです


2011年の3月で病院の食堂を退職しました


手土産を持って退職の挨拶をしに行った時の

店長の冷たいと言うか 素付けない態度は

今でも覚えています


忘れもしない震災があった時です

毎日 毎日 暗い報道ばかり

丁度そんな時期でした


有給も退職金も貰えず 翌月からすぐに名古屋

今思えば もっと社会の事を学んでいれば良かった


終わった事は仕方ない 急いでバタバタと引っ越しの準備

名古屋までは家族が車で送ってくれました


着いた先は 木々に囲まれたボロいアパートでした 

幸い家具付き それに自転車が1台ついていました


家族との別れ際は 

何とも言えない寂しさに包まれた事を覚えています

留学時代とは また違った感情でした

子供達との しばしの別れが そう思わせたと思います

狭いアパートで 1人寂しくビールを飲みながら

込み上げる寂しさに耐えていました


ただ いつまでも

そんな事を思っていても始まらない

言うてたったの 4ヶ月 やるしかない

と自分に言い聞かせて その日を終えました


翌日から 早速 研修開始 

さすがは名古屋 喫茶店の本場 

モーニング文化の無い 私には驚きと衝撃の連続でした


勤務時間は基本的に 早番と遅番の交代制

早番は朝の6時から15時まで 遅番は15時から24時まで

まずは 営業時間の長さに驚きです


お弁当作りで鍛えた 朝に強い私は 早番が好きでした


おはようございます と元気に笑顔で初日に臨みました


仕事内容は初めて事だらけでしたが 

今まで培った 色々な経験があるので 

商品知識と作業方法さえ覚えれば

営業に関して言えば 全く苦になりませんでした


笑顔と愛嬌には自信があります 


例えば まだ何も出来ていない研修の一週目に 

お店の覆面調査があり そこで輝いていた店員に選ばれました


これまでは その店の社員どころか 

ベテランの女性店長しか選ばれた事がないとの事

入店して間もない 研修生が選ばれる事は

まさに快挙だったそうで 

本部からわざわざ 私を見に来た程でした


初めは 偉そうな態度をとっていた

年下の社員や ベテランのパートさん達の態度も

手の平を返したように改まりました

あれ? どこかで同じような事が 笑笑

相手に認められるには 結果や実績が全て


また私の考え方の地盤に 一つ刻まれました

 

*新たにブログのホームページを開設致します、今までの内容を少し直して作り直しております。初心者ながら手探りで行っています、まだまだ勉強不足で分からない事だらけですが、こちらも見て頂けると嬉しいです。

また感想や質問、気になる事があればコメント頂けると嬉しいです。リンクも貼っておきます。
今後も宜しくお願い致します。       
                                酒屋三代目福ちゃん


                         ブログホームページ 

https://sandaime-fukuchan.com

 

衝撃的な一言

 


こんにちは


どこに行っても人の問題は 尽きません

しかし 以前のフレンチのお店を経験しているので

かなり 過ごしやすい環境なのは 気のせいですかね?

もしかしたら 感覚が麻痺してるだけですかね?

もちろん 悪い人達ばかりではありません


今回は 色々教えてくれて

人生の起点に 優しく背中を押してくれた

チーフについて 書きたいと思います


チーフは 私の直属の上司でした

店長は 私より丁度 一回り上

チーフは更に 歳上で 私の親より少し若い世代

お父さんのような人でした


あんまり仕事をしない 店長の代わりに

優しく ちょっとだけ厳しく 色々教えて頂きました


当時から 歳は違えど なぜか お互いにウマが合い 

プライベートでも 飲みに行くような関係でした


過去形になってますが 今でも仲良しです

今年の1月に ちょうど定年になったばかりです

暇になったらしく 最近では ご飯や暇潰しに 良く誘われます


あの環境で よく最後まで我慢したチーフ

自分より仕事が出来ない 年下の店長夫婦に

愚痴や嫌味を 言われながら 耐えたチーフ

凄いと思います でも優しすぎる とも思います


食堂での勤務が 二年を過ぎた頃 

突然 転職の話が来ました

偶然に偶然が 重なって そうなったのです

ちょっとだけ ややこしい話ですが  

当時 妻が 歯科医院に 技工士さんが作った歯を 配達する仕事をしていました

そして 何件かある配達先のスタッフの一人と 仲良くなったそうです


ココからです その娘のお父さんが 名古屋にある会社の専務で

その会社が こちらに飲食事業部を立ち上げるらしく

店長候補を探しているとの事

娘さんから 私の話を聞いたらしく 是非 一度会いたい言われました

気持ちも固まらないまま とりあえず会ってみる事に 


面接?雑談? ファミレスでコーヒを飲みながら 少しお話しをしました

そしたら すぐに 「笑顔が良い 是非お願いしたい」と言われましたが

少し考えさせて下さいとだけ 返答して その日を終えました

 

年収や休日などは 病院の食堂から見れば かなりの好条件

しかし 気になる事が一つ

その業態が フランチャイズの喫茶店だったのです

茶店? 飲食店は飲食店ですが イメージが全く別物

将来の夢の方向性も 違うような気がすると

しかし 子供大きくなり 今の給料では 厳しい事も事実

今の仕事も 給料以外は 住めば都


そんなある日 チーフが あれこれ悩んでいた私に 一言


『ワシも 大変になるけど お前はこんな所におる奴じゃない やってみろ』 と。


最後まで冷たい反応の 店長夫婦と違い チーフ カッコイイ。

あの一言で 今の私があります  

自分より相手の事を 真剣に考えてくれる その優しさ

本物です 私も絶対 そうなります 

感謝の気持ち と 本物の優しさに つつまれながら

 

また 新たなステージに進みました 

モンスターハンター

 

こんにちは


病院内の食堂での 仕事はどのようなものだったか

他にはどのような人がいたか そんなお話です


前回で伝えた通り 今回の職場は早朝からのスタートです

当時の私は 一番下っ端だったので 誰よりも早くお店に行く必要がありました

まずは売店用のお弁当作りの為に 

米を洗い ご飯を炊く事

次に ラーメンのスープの仕込み うどん そばの出汁の仕込み

味噌汁の仕込み 毎日がここから始まりました


一人であれこれ準備を していると チーフが来て

その後に 店長夫婦が出社 と言う流れでした


平日は毎日 200食くらいの お弁当を作っていました

お弁当作りは 家での一個二個と違い これくらいの数になるのと

かなりハードな作業でした

同じ種類ならまだ そこまで大変ではありませんが 

色々な種類で 各 五食となれば 40種類の違ったお弁当を

作る事になります これが毎日なので なかなか なものです


毎日 お弁当作りに追われる お母さん達なら

きっと 大変さが伝わると思います


当時は毎日毎日 時間に追われていました

店長に怒られながら 奥さんに嫌味を言われながら (チーフは人格者でした笑笑)

失敗をバネに 技術や効率性を 磨いて行きました


数ヶ月ほど経ち それなりに成長して来ました 

そうしたら お弁当作りだけでは無く 普段の営業も

口だけ出して来る 奥さんよりもです

結果 仕事が出来るようになった時点で 

嫌味が無くなりました


虎の威を借る狐  討伐!


そうです このお店の問題は 実は奥さんにありました

一族経営にありがちの 偉そうなマダム 

職種柄 パートさんも多く 女性の職場です

嫌味 陰口は 日常茶飯事 他人の失敗には厳しく

自分の失敗には甘い そして役に立つと思うとコロッと手の平を返す

こんな人周りに居ませんか? まさに典型的な例です


歴の長いパートさん以外は 入れ替わりが激しい職場でした

次から次へと ターゲットを見つけ いじめ 辞めさせる

 最悪‥‥

パワハラと言う言葉が 世の中に広まる前の出来事でした

メンタルの弱い人は去り 負けん気のある人は 

自然と流すテクニックが 身に付く 

そんな環境でした。 

なぜ ほとんどの職場にこんな人が いるのだろうと

素朴な疑問を抱き 

これもまた反面教師 自分はそんな人には絶対なりたくない

と言い聞かせ たまには パートさん達の愚痴を聞きながら

日々の営業に励んでいました

どれくらい 頑張っていたかと言うと 

毎日 毎日 同じ体勢で 包丁を研ぎまくり

背中を圧迫骨折していた事を知らず かなり後に判明するくらいです

もしかしたら リアルマリオカートの影響かも知れませんが 笑笑

神様 仏様 鬼様

こんにちは


新しい環境 生活の変化 新たな出会い


食堂で修行時代のお話です


前回で軽く触れたように 1日の仕事はお弁当作りから始まります

そのため 朝は7時までに職場に行かなければ いけませんでした


春から秋にかけては何の問題もありませんが 問題は冬です

雪国なので余裕を持って出ないと いけません


冬に寝坊して 慌ててスリップ事故を起こした事がありました

1人で事故っただけですが ブレーキ直後に ゴロン ゴロン

収まった時には 上下逆でした そうです  車が腹這いになっていました

しかし 奇跡的に無傷 またまた ともちゃんが守ってくれたかな

後日この話を聞いた姉は 

『リアルマリオカート』 『ヒアウィーゴー』 と言って笑っていました

覚えとけよ!

ただ 慌てて家を出て来たので こんな時に限って携帯電話を忘れると言う失態


諦めて歩き出しました

職場までは雪の中徒歩30以上 途中で電話BOXを発見するも

まさかのテレフォンカード専用‥‥ そんなもん  持って無いわ!


余談ですが その時 頭の中に浮かんだ テレフォンカードの写真は

金閣寺でした‥


微かな希望が 即打ち砕かれて 再度歩き出しました

五分後  一台の車が過ぎ去ったと思うと 少し先で停車しました 

その車の運転手は 何と病院の先生でした

あの車だよね? はい。 そんなやりとりがあり

職場がある病院まで乗せてくれる事になりました


神様 仏様 お医者様 ありがとうございます

心が折れそうでした 

そうやって助けられ 何とか職場に着きました

上司に理由を話し 家に電話 事故処理 診察


流石にその日は休ませてくれる 思っていましたが

まさかの店長から全部終わったら 戻って来いと言われ

心の中で叫びました  鬼と‥‥‥

白い巨塔

こんにちは

前回は フランス料理店 でのお話でした

7ヶ月だけだったのですが 中身が凄い

理不尽な目に遭いましたが 今後の人生や考え方に関して

非常に有意義な経験でした 危機を察知できるようになった事も

現在でも非常に役立っております

今でこそ 感謝の気持ちも芽生えますが 当時はそれどころではありませんでした 笑笑

悔しさ や 自分に対する情けなさ しかし 湧き出るホッとした感情

色々背負って 次に行きます

 

更なる転職を考えていた時 またまた知人から声が掛かりました


その人は 祖父の代から 付き合いのある 家具屋さんでした

昔から良く知っている人で もう高齢になり息子さんに事業を譲りましたが

今でも付き合いのある人です


さて 次の職場は なんと病院でした

病院と言っても 患者さん用の病院食ではなく


先生を始め職員さんや、お見舞いの方、元気な患者さん

また 大学病院だったので 医学生のお客様も多い 

テナントの食堂でした


同じ病院内に 売店も経営しており

そこで販売する お弁当作りも 任されておりました


オーナーには二人の息子がいて

長男夫婦は売店 次男夫婦は食堂を それぞれ任されていました


食堂で働く社員は 次男の店長夫婦と ベテラン社員のチーフ

そして私の四人でした 後はお昼がメインのお店だったので

パートさんが 十人ほど働いていました

 

人が多いように感じますが 客席が百席もあるような

大きなお店で ランチタイムにその席数が  二 〜 三回転

するような 忙しいお店です


給料は前よりマシになり 生活スタイルも全く変わりました


と言っても安い給料だったので 生活が豪華になった訳では無く

労働時間が普通の会社員に近づいた と言う意味です


弁当の絡みもあって 平日の朝は6時と早いのですが

終わるのも夕方の5時過ぎと早く終わり

飲食店の常識とは異なり 土日や連休の方が暇になると言う

独特の店でした まあ 考えてみると病院なので そうなりますね

しかし 当時の私には 時間と休みが ものすごく増えたように

感じました

現に 子供の保育園や地元のイベントなどに 参加できるようになったり

年末年始などにも まとまった休みが貰えたりなど

アルバイト時代も含めて考えても 実際 今までで 

一番マシな待遇だったかも 知れません 


また新たな スタートです


さてさて ここの人達はどんな人達でしょうか?

 

逃げるが勝ちだが役にはたつ

こんにちは


初めての就職 初めての転職


生活や仕事など さまざまな不安を抱えながら


考え抜いた決断です さてさて 次はどうでしょか?

 

 


何も分からないままハローワークに行き


色々見て見ましたが 当時の飲食店では


社会保険完備と言う職場は あまり多くはありませんでした

 

 


その中で興味を持った職場が フランス料理店でした


一応 社会保険完備とあります

 


初めて自分で探した職場がここです


まだまだ先の話になりますが 今に至るまでで 


唯一自分で探した職場でした 

 


電話をかけ履歴書持参で面接 すぐに決まりました

 


しかし 料理の勉強の為に探し当てた場所でしたが


任されたのはホールの仕事でした 


当時の店長に上手い事言われましたが 単にホールの社員が先月辞めただけだった


しばらくして その事に気づきました

 


ただ あーだ こーだ 言ってもしかたない


家族の為、自分の夢の為に頑張る事を決めました

 


そのお店は 


オーナーの息子さんの店長 と 雇われシェフの二人が仕切るお店でした


二人共 性格に癖があり 特にシェフは 自分の機嫌や好みだけで人を判断して


料理は全てシェフしか仕切れないので 店長も何も言えないと言う最悪の環境でした

 


ただ料理は メチャクチャ美味い 惜しい

 


大学の近くにあったのでアルバイトの求人は 良くありましたが


理不尽やキツイと言う 噂が大学中に広がる程でした


勿論 社員 アルバイトも含め人の定着率は最悪で


酷い時はアルバイトが一日で辞める事も 一回 二回 所ではありませんでした


無断で来なくなる事も多々‥‥ そんな劣悪なお店でした

 


今まで甘々に生きて来た私が ストレスで1ヶ月に10キロ以上痩せて


かあちゃんに癌を心配され 病院の診断を受けさせられた程に 笑笑


理不尽な事も多々ありましたが 悔しさをバネに頑張りました


勿論 厳しさの中での成長もありました 


本を読む事や お客さんの対しての考え方 サービスとは何か 人を喜ばす喜びなど 


今の私の考え方や方針の基礎が作られた時期でした

 


もしここが スタッフに対しても 愛のある店なら 


さぞ強かったでしょう 非常にもったいない‥‥

 


いくら味が美味しくても 人が定着しなければ


営業がキツくなり 負のループ 


たった7ヶ月しか働いていませんでしたが 段々と流れが怪しくなって来て


またまた家族の為 自分の為に 転職を決めました


私が辞めた数ヶ月後に 店長が逃げてしまい


連絡がつかなくなり


シェフが店長も兼任するも 誰もついて来ず

 


結局 そのまま潰れました 

 


色々と巻き添いを喰らう所でした 危なかった‥‥


厳しい環境の中で危機察知能力も備わったようです


色々と良い勉強になりました これからも良い所だけ活かして


後は反面教師で生きていく事を決めました

 


さあ次のステージです‥‥